豆知識

みなさんは滋賀県大津市について、どんなことを知っていますか? 残念ながら、
全国的には場所すらよく分からないという方が多いのではないでしょう か?
大津市は日本一の琵琶湖の南に位置し京都・奈良・鎌倉などとならんで古都指定 を受けた街で、かつては都が置かれ、源氏物語を生み、東海道最大の宿場町でした。
一見地味でも、実は自然と歴史と文化とまちが交じり合った奥行きのある”大津市”。まだまだ知られていないその魅力を、スタッフが発掘してご紹介していきま す。
(メルマガ”e湖都通信”に連載中の”大津豆知識”を再編集し掲載しています。)
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大津市

『港町の礎、大津百艘船』

 

 

   織田信長の死後、豊臣秀吉は、いち早くびわ湖の水運に着目していました。中でも、京への東玄関となる“大津”の港は、大坂への連絡を考えても便利だと重要視した為、近江の拠点として「大津城」を築城させたと言われています。

 そして、大津城の初代城主“浅野長政(長吉)”が、水運の発展と軍事利用を目的に、坂本・堅田・木浜(守山市)など諸浦の船を集め、船持仲間『大津百艘船(おおつひゃくそうせん)』を組織します。

 長政は天正15年(1587年)“五カ条の定め書き”を示し、百艘船に対し、大津浦から出る荷物や旅人の積み出しを独占的に認め、びわ湖の水運を支配下に治めました。

 この政策が、後に大津が港町として栄える基盤を築いたと言えるでしょう。京極高次など歴代の大津城主、また大津代官によって受け継がれ、大津はびわ湖の物資が集散する港町として、また東海道の宿場町として発展していくことになり、江戸時代中期まで湖上水運を握り続けます。

 湖上交通では、舳先は板を立てて並べ、側面に丸太を半分にして取り付けたという独特の構造の『丸子船』と呼ばれる和船が活躍しており、最盛期には、約1300艘もの船が運行していたと記録されています。

 現在、大津城跡の石碑が残る浜大津、大津港からはびわ湖を周遊する観光船が数多く運行し、四季折々のクルーズなどで賑わっています。

 ■大津港

 ■びわ湖の観光船なら「琵琶湖汽船」

 ■大津城跡については「大津豆知識」バックナンバーから
  『 浅井三姉妹“初”の夫、京極高次と大津城 』



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