豆知識

みなさんは滋賀県大津市について、どんなことを知っていますか? 残念ながら、
全国的には場所すらよく分からないという方が多いのではないでしょう か?
大津市は日本一の琵琶湖の南に位置し京都・奈良・鎌倉などとならんで古都指定 を受けた街で、かつては都が置かれ、源氏物語を生み、東海道最大の宿場町でした。
一見地味でも、実は自然と歴史と文化とまちが交じり合った奥行きのある”大津市”。まだまだ知られていないその魅力を、スタッフが発掘してご紹介していきま す。
(メルマガ”e湖都通信”に連載中の”大津豆知識”を再編集し掲載しています。)
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大津市

『1945年、大津。』

 

 

今から約70年前、1945年(昭和20年)8月15日に第2次世界大戦が終結し、今では毎年8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、一般的に「終戦の日」とされています。

この戦争で、滋賀県からは、9万5千人以上の人が兵士として戦地へ行き、3万2千人以上の人がなくなりました。

滋賀県では、戦争が終わる3か月程前から、軍需工場を中心に何度か空襲があり、7月24日には大津市石山の東洋レーヨン滋賀工場(現・東レ)にも爆弾が落とされました。大都市に比べると空襲こそ多くはありませんでしたが、パイロットの顔が見えるくらい近づいてくる飛行機から機関銃で攻撃をうける「機銃掃射(きじゅうそうしゃ)」が度々あったそうです。

大津はパイロットの訓練施設等とも縁が深く、昭和10年には「天虎飛行研究所」通称「テントラ」が作られ、民間パイロットを訓練していました。やがて戦争が激しくなると、海軍航空隊のパイロットになるための訓練が、終戦直前には特攻訓練が行われるように様変わりしていったそうです。また、現在の大津商業高校がある場所には、 少年たちがパイロットの基礎訓練を受けるための 「大津陸軍少年飛行兵学校」もありました。

さらに、比叡山頂には、特攻機「桜花(おうか)」の発射台を作る工事が昭和20年6月から開始されました。山頂へ向かうケーブルカーは、分解した「桜花」を運ぶために利用され、山頂で桜花の組み立て作業が行われていました。ただ、発射台完成が8月15日であったため、桜花が発射されることなく、終戦を迎えることとなりました。

大津市滋賀里の「崇福寺跡(すうふくじあと)」には、海軍のパイロットになるために訓練を受けていた「大津海軍航空隊(大津空・おおつくう)」の隊員が掘った 大きな穴を今でも見ることができ、アメリカ軍上陸の際に防空壕として使うためのものだったと言われています。大津に迫る戦争の恐怖を、感じ取ることができるものとなっています。

朝起きて、仕事や学校に行き、美味しいご飯を食べてあたたかいお布団で眠る。そんな当たり前の日常が、ほんの数十年前の日本では、夢のような話だったのです。小さな「当たり前」が幸せなのだということを忘れずに、毎日を大切に過ごしていきたいものですね。



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『1945年、大津。』

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