豆知識

みなさんは滋賀県大津市について、どんなことを知っていますか? 残念ながら、
全国的には場所すらよく分からないという方が多いのではないでしょう か?
大津市は日本一の琵琶湖の南に位置し京都・奈良・鎌倉などとならんで古都指定 を受けた街で、かつては都が置かれ、源氏物語を生み、東海道最大の宿場町でした。
一見地味でも、実は自然と歴史と文化とまちが交じり合った奥行きのある”大津市”。まだまだ知られていないその魅力を、スタッフが発掘してご紹介していきま す。
(メルマガ”e湖都通信”に連載中の”大津豆知識”を再編集し掲載しています。)
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大津市

『日本で初めての対米輸出品「膳所茶」』

 

 天智天皇の時代、大津京の朝廷にお膳を用意する御厨所だった事に由来し、 地名が定められた「膳所(ぜぜ)」。 膳所は静かな琵琶湖の岸辺と背後の山々に挟まれた、城下町風情の残る美しい町です。

 

 江戸時代、膳所は膳所藩の城下町で、お茶の栽培と製法を宇治から持ち帰っ た膳所藩士が、柿ヶ坂と呼ばれる一帯に茶園をつくり、良質なお茶を生産し ていました。その後、 嘉永6年(1853年)に神奈川県横須賀市の浦賀にペリーが率いる米艦隊 が来航しました。歴史の授業でおなじみの、「黒船」来航事件です。

 

 ペリーは、幕府の儒学者、林 復斎とその随行員を船室に招待しました。 その時、ペリーが「コーヒーのような飲み物はないのか」と問いかけたので、 随行員の一人であった膳所藩の儒学者、関藍梁が所持していた膳所産の茶を 饗した所、大変気に入られ「貴国の生糸とこの茶が欲しい」と望んだそうです。

そして膳所茶は生糸と共に輸出されることになり、信楽焼の茶壺に入れら れ神戸と横浜から船積みされ、日本で最初に輸出されたお茶となったのです。

 

  しかし、近世、市街化などにより、ほとんどの茶畑が膳所の町から消 えて行きました。
  そこで、膳所商店街にある「冨永園茶舗」の2代目店主、富永良晴さんは、「ペリーの飲んだお茶とは、どんな味だったのだろうか」「膳所茶の歴史とその味を広めたい」と思い、長年の夢であった膳所茶を再現し、商品化されました。

 

 幻のお茶と言われる、その味は現代の甘口のお茶とは違い、実に素朴で渋 みがあるのが特徴だそうです。 美しい緑の茶畑が広がっていた当時の膳所を思いながら、城下町の風情が 残るまちなかをゆっくりと歩いてみるのも良いかも知れませんね。

 

 

   ■冨永園ホームページ「黒船と膳所茶の歴史」

 

 

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日本で初めての対米輸出品「膳所茶」

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