豆知識

みなさんは滋賀県大津市について、どんなことを知っていますか? 残念ながら、
全国的には場所すらよく分からないという方が多いのではないでしょう か?
大津市は日本一の琵琶湖の南に位置し京都・奈良・鎌倉などとならんで古都指定 を受けた街で、かつては都が置かれ、源氏物語を生み、東海道最大の宿場町でした。
一見地味でも、実は自然と歴史と文化とまちが交じり合った奥行きのある”大津市”。まだまだ知られていないその魅力を、スタッフが発掘してご紹介していきま す。
(メルマガ”e湖都通信”に連載中の”大津豆知識”を再編集し掲載しています。)
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大津市

『 大津で偉人のお墓参り 』

大津の地に眠る数々の名高い偉人、その“お墓”についてご紹介します。歴史に名を残した先人が眠るゆかりのスポット。

時を超えて、過去の偉業や歴史背景に思いを馳せるお墓参りをしてみませんか?

 〜〜〜 武将編 〜〜〜

①源平合戦の武将「木曽義仲」の墓 >> 義仲寺
平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津の地で壮烈な最期を遂げた源氏の武将、木曽義仲。
側室であった巴御前(ともえごぜん)が建てた草庵が始まりといわれる「義仲寺」には、後に江戸時代を代表する俳人、松尾芭蕉の墓も建てられ、二人の偉人が眠る場所となります。

②平安末期の武将「今井兼平」の墓 >> 大津市晴嵐
木曽義仲と乳兄弟にあたり、木曽の四天王とも呼ばれていた武将、今井兼平。粟津の地で義仲とともに戦い悲壮な最期を遂げ、兼平を尊敬した膳所藩主の本多俊次が墓を建立したと伝えられています。

③織田信長が認めた勇士「森可成」の墓 >> 聖衆来迎寺
信長から強い信頼を得ていた家臣、森可成。
信長による越前攻めの際、現“近江神宮”西方にそびえる宇佐山の山頂に「宇佐山城」を築きました。
可成が、浅井・朝倉連合軍との攻防で討ち死にを遂げたといわれる地、比叡辻の聖衆来迎寺は延暦寺の念仏道場として栄えましが、信長による延暦寺焼き討ちの際、森蘭丸の父である可成の墓があった為、難を逃れたといわれます。

④本能寺の変で主君を討った「明智光秀」と一族の墓 >> 西教寺
大津市、坂本にある西教寺は、信長による延暦寺焼き討ちで境内が焼失しましたが、光秀が総門や庫裏などを寄進したことで支えられ、現在の総門は光秀が城主を務めていた坂本城の総門を移築したものといわれます。
山崎の合戦で秀吉軍に敗れ、近江へ逃れる際に討たれた光秀とその一族が眠る場所です。
※関連記事:VOL.42「坂本城と明智光秀」


 〜〜〜 文化人編 〜〜〜

①日本の伝統美術を愛した「フェノロサ」の墓 >> 三井寺法明院
アメリカ合衆国、マサチューセッツ州生まれの「アーネスト・フランシスコ・フェノロサ」。
明治時代に来日後、日本の伝統美術に深い関心を示し、東京大学で哲学などを教える傍ら、日本美術の真価を欧米に紹介し、その振興に努めました。やがて仏教への関心も強まり岡倉天心の紹介で三井寺法明院の桜井敬徳和尚に深く帰依します。

②江戸時代を代表する俳人「松尾芭蕉」の墓 >> 義仲寺
大津の美しい景観をこよなく愛し、何度も大津を訪れていた松尾芭蕉。
木曽義仲の生涯にも強く関心を抱いていたといわれ、生前の遺言により義仲寺に墓が建てられました。
境内には、数多くの芭蕉句碑が立ち並びます。

③平安時代の歌人「紀貫之」の墓 >> 比叡山中腹
“古今和歌集”の編者で“土佐日記”の著者としても名高い紀貫之。
坂本ケーブル「もたて山駅」から南に300mのところにひっそりとお墓が建てられています。

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大津で偉人のお墓参り

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