豆知識

みなさんは滋賀県大津市について、どんなことを知っていますか? 残念ながら、
全国的には場所すらよく分からないという方が多いのではないでしょう か?
大津市は日本一の琵琶湖の南に位置し京都・奈良・鎌倉などとならんで古都指定 を受けた街で、かつては都が置かれ、源氏物語を生み、東海道最大の宿場町でした。
一見地味でも、実は自然と歴史と文化とまちが交じり合った奥行きのある”大津市”。まだまだ知られていないその魅力を、スタッフが発掘してご紹介していきま す。
(メルマガ”e湖都通信”に連載中の”大津豆知識”を再編集し掲載しています。)
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大津市

『 徳川家康 天下普請 第一号の「膳所城」 』

1600年に関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康が翌年、膳所崎の地に築城させたのが“膳所城”。別名は石鹿(せきろく)城とも呼ばれました。
家康が、天下分け目の合戦後、最初に造った城として知られています。

膳所城の築城には8人の奉行が当たり、築城計画は、伏見城・江戸城・二条城など、数々の築城を手がけた縄張りの名手「藤堂高虎」が担当したと言われています。

坂本城や大津城と同じくびわ湖に突き出した城郭で、湖上から眺めると水中に浮いているように見え、その優美な景観が東海道を行き交う人々の評判となり、近江八景や浮世絵などにも盛んに描かれています。

『瀬田の唐橋 唐金擬宝珠(からかねぎぼし) 水に映るは膳所の城』
と、歌にも唄われるほどでした。

築城に際しては、家康が、関ヶ原の合戦後の守備について、当時信頼の厚かった近臣「本多正信」に相談したというエピソードが残されています。
検討されていた「大津城」の改修案を背後の長等山から城内が見渡せるという欠点があることから取り止め大津城は廃城、湖上水運も掌握できる場所として、膳所崎の地に新たに築城することを決断したと言われています。

1870年(明治3年)、幕末の動乱を経て明治維新を迎え、最後の藩主であった本多康穣(やすしげ)が、新政府に廃城願いを出し、270年の歴史に幕を閉じた膳所城は、近江に築かれた最後の水城となりました。

現在は、本丸跡が整備され「膳所城跡公園」となり、入り口には城門と城壁が復元され、天守閣跡には石碑が建っており、春はお花見をする人で賑わう桜の名所でもあります。

公園内には、石垣及び堀の一部が遺構として残っていますが、当時の建造物は全て明治時代に取り壊され、城門や櫓などは、膳所神社と、篠津神社に移築され、いずれも重要文化財となっています。

城下町の面影が残る膳所の街から、水城をほうふつさせる湖畔散策。桜の季節は、特におすすめの散策コースです。

 ■滋賀県観光情報 戦国の舞台 近江を歩く『膳所城・瀬田城コース』

 ■びわ湖大津観光協会『膳所城跡公園』

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徳川家康、天下普請 第一号の「膳所城」

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