豆知識

みなさんは滋賀県大津市について、どんなことを知っていますか? 残念ながら、
全国的には場所すらよく分からないという方が多いのではないでしょう か?
大津市は日本一の琵琶湖の南に位置し京都・奈良・鎌倉などとならんで古都指定 を受けた街で、かつては都が置かれ、源氏物語を生み、東海道最大の宿場町でした。
一見地味でも、実は自然と歴史と文化とまちが交じり合った奥行きのある”大津市”。まだまだ知られていないその魅力を、スタッフが発掘してご紹介していきま す。
(メルマガ”e湖都通信”に連載中の”大津豆知識”を再編集し掲載しています。)
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大津市

『 明智左馬之介の湖水渡り伝説 』

本能寺の変で織田信長を討った明智光秀ですが、直後の“山崎の戦い”で秀吉に敗れ、拠点であった坂本城も落城。
三日天下などと語り継がれます。

光秀が山崎の戦いで敗れた後、拠点であった坂本城が、落城に至るまで、光秀の娘婿で重臣であった“明智秀満(明智左馬之介)”の勇壮な伝説をご紹介します。 

光秀の死を安土城で知った秀満は、救援のため急遽、坂本城を目指し出陣します。

ところが大津まで辿り着いた時(現在の大津市打出浜あたり)、秀吉軍の先鋒武将、堀秀政と遭遇してしまいます。

味方の兵が次々と討たれ、窮地に立たされた秀満は、大胆にも打出浜から、馬に騎乗したまま琵琶湖に乗り入れたと言われています。

堀秀政は、今に沈むか…と眺めていたそうですが、秀満は何とか唐崎(柳が崎という説もあります)に上陸します。
そして無事、坂本城に到着するものの秀吉の大軍に囲まれた秀満は、自ら城に火を放ち自害、遂に坂本城が落城したと言われています。

現在では、大津市打出浜、びわ湖岸の"なぎさ公園"歩道沿いに建つ"琵琶湖文化館"の横に『明智左馬之助湖水渡』と刻まれた石碑が、ひっそりと立ち、柳が崎には『明智左馬之介駒止の松』と呼ばれる松の木と石碑が残されています。

なかなか足を止める人も少ないですが、激しい戦火の中、一人の武将が琵琶湖上を命がけで渡った…戦国時代の勇壮な伝説が残る場所です。

 ■参考
 びわ湖大津観光協会「明智左馬之介湖水渡りの碑」

明智光秀と、光秀が拠点としていた坂本城に関しては、こちらの記事をご参照下さい。
 大津豆知識 vol.42『坂本城と明智光秀』

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明智左馬之介の湖水渡り伝説

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