豆知識

みなさんは滋賀県大津市について、どんなことを知っていますか? 残念ながら、
全国的には場所すらよく分からないという方が多いのではないでしょう か?
大津市は日本一の琵琶湖の南に位置し京都・奈良・鎌倉などとならんで古都指定 を受けた街で、かつては都が置かれ、源氏物語を生み、東海道最大の宿場町でした。
一見地味でも、実は自然と歴史と文化とまちが交じり合った奥行きのある”大津市”。まだまだ知られていないその魅力を、スタッフが発掘してご紹介していきま す。
(メルマガ”e湖都通信”に連載中の”大津豆知識”を再編集し掲載しています。)
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大津市

『 坂本城と明智光秀 』

1571年、比叡山延暦寺の焼き討ちを行った織田信長。
その後、延暦寺が盛り返さないよう監視ができる地として、そして山中越で京都に通じる交通の拠点であるという点から、明智光秀に命じ、比叡山麓の坂本の地に築城させたのが“坂本城”です。

湖畔に建てられた坂本城は、城内に琵琶湖の水を引き入れた水城で、大天守と小天守をもつ豪壮絢爛な様子を、当時宣教師として来日していたと言われるルイス・フロイスが、著書『日本史』の中で“信長の安土城に次ぐ第二の名城”と讃えています。

坂本城を拠点に近江の平定に奔走した光秀は1582年、本能寺の変で信長を討ちましたが、直後の“山崎の戦い”で秀吉に敗れ、坂本へ逃れる途中、落ち武者狩りに遭い自刃したと言われています。

その後、娘婿で重臣の明智秀満が光秀の一族と共に坂本城に籠りますが、秀吉の大軍に包囲され、秀満は自ら城に火を放ち自害、坂本城も焼失したと伝えられています。
後に、彦根の佐和山城にあった丹羽長秀(にわながひで)が焼け落ちた坂本城を再建しますが、1586年頃、大津城の築城に伴い、廃城となりました。

近江における湖城の先駆けとなった坂本城ですが、現存する遺構はほとんど残っておらず、大半が湖中に沈んでいます。
琵琶湖の渇水時、水位が下がった際に湖面から石垣が現れ、当時の面影を見せ“幻の城”とも呼ばれています。

明智光秀一族の墓は西教寺(天台真盛宗の総本山)の境内にあり、坂本城の碑は、本丸跡とされる下阪本の東南寺付近と、国道161号線沿いの湖岸公園に残されており、公園内には、明智光秀の像も立っています。

激動の戦国時代、"三日天下"・"悲劇の武将"などと語り継がれる光秀がどんな思いで琵琶湖を眺めていたのか。

幻の城の当時の様子に思いを馳せて、ゆかりの地を巡ってみてはいかがでしょうか。

 〜滋賀県観光情報〜
 ■戦国の舞台近江を歩く 〜坂本城コース〜
 ■坂本城跡

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坂本城と明智光秀

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