豆知識

みなさんは滋賀県大津市について、どんなことを知っていますか? 残念ながら、
全国的には場所すらよく分からないという方が多いのではないでしょう か?
大津市は日本一の琵琶湖の南に位置し京都・奈良・鎌倉などとならんで古都指定 を受けた街で、かつては都が置かれ、源氏物語を生み、東海道最大の宿場町でした。
一見地味でも、実は自然と歴史と文化とまちが交じり合った奥行きのある”大津市”。まだまだ知られていないその魅力を、スタッフが発掘してご紹介していきま す。
(メルマガ”e湖都通信”に連載中の”大津豆知識”を再編集し掲載しています。)
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大津市

『 一休さんが誕生した町、堅田 』

皆さん日本の有名なお坊さんと言ったら誰を想像しますか?一休さんを思い浮かべる方もきっと沢山いると思います。

テレビアニメで放映され、とんちを使い様々な難題を解決していく一休さんの姿は爽快でしたよね。

一休さんは1394年(応永元年)元旦に京都で生まれ、幼い頃は、千菊丸(せんぎくまる)と呼ばれていましたが、その後、"一休"という名を授かった場所が、大津市堅田でした。

父は南北朝の内乱を治めた、後小松天皇(北朝)でしたが、母が敵方(南朝)から嫁いでいた為、千菊丸を身ごもっていましたが、策略により都を追われてしまいました。

母の伊予局は、北朝の者が天皇の血筋であるわが子を狙うかも知れないと思い、6歳の時に京都の安国寺に預けました。

そして、17歳の時に、純禅を求め、西金寺の謙翁宗為(けんおうそうい)の元を訪れ、弟子になりました。20歳の時、宗純という新しい名前を授かりましたが、翌年、敬愛していた謙翁宗為が亡くなり、悲しみに明け暮れ、瀬田川で自殺をはかってしまいます。しかし、母方の使いに助けられ、一度母親のいる嵯峨に戻ります。

嵯峨に戻った宗純は、嵯峨の奥里の自然のにふれ、本来の自分を取り戻して行きました。そして翌年、再び禅道に身をゆだねようと嵯峨を後にします。

そして22歳の時、かねてから禅の登竜門と思っていた、堅田の祥瑞庵(今の祥瑞寺)の華叟宗曇(かそうそうどん)和尚の元を訪れました。

入門後、宗純は、毎日非常に厳しい戒律と座禅を通して、師匠・華叟宗曇の「権力にこびず、気高く生きる」教えを学び取っていきました。

そして入門から3年の月日が経ったある日、宗純は、宗曇との問答の中で、今の自分の境地を「有漏地より無漏地へ帰る一休み 雨ふらば降れ風ふかば吹け」と歌いました。心の中のこだわり(有漏地)を捨て、悟りの世界(無漏地)へ向かうまでの一休みのようなものだと。

それを聞いた師匠・宗曇は、宗純を称えて、「一休」という名を授けました。

この時一休さんが誕生しました。

その後、一休さんは、師匠の元を離れ、禅を通して、人間が平等であることを人々に説いてまわります。

一休さんが過ごした堅田での修業の日々は、自分の原点に立ち帰り、自分自身の生きる道を悟った、人生の中の重要なターニングポイントだったのでしょう。

皆さんも、一休さんが居た、当時の時代に思いをはせばせながら、堅田の町をゆっくりと散策されてみてはいかがでしょうか?

※本堂・開山堂は拝観要予約

 ■堅田観光協会 
   → 一休さんのくにプロジェクトホームぺージ

 ■びわこビジターズビューロ
   → 祥瑞寺ページ

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一休さん

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