豆知識

みなさんは滋賀県大津市について、どんなことを知っていますか? 残念ながら、
全国的には場所すらよく分からないという方が多いのではないでしょう か?
大津市は日本一の琵琶湖の南に位置し京都・奈良・鎌倉などとならんで古都指定 を受けた街で、かつては都が置かれ、源氏物語を生み、東海道最大の宿場町でした。
一見地味でも、実は自然と歴史と文化とまちが交じり合った奥行きのある”大津市”。まだまだ知られていないその魅力を、スタッフが発掘してご紹介していきま す。
(メルマガ”e湖都通信”に連載中の”大津豆知識”を再編集し掲載しています。)
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大津市

『大津に埋蔵金が隠されている!? 』

 戦国時代から安土桃山時代にかけて、 戦国大名・織田信長の重臣の一人だった明智光秀は、「主殺し」「三日天下」などと言われ、歴史を大きく展開させたキーマンとして有名ですね。

 明智光秀は天正10年(1582年)6月2日「敵は本能寺にあり」と、主君信長討伐の意を告げたといわれる“本能寺の変”からわずか11日、 6月13日に坂本を目指して落ち延びる途中、小栗栖(おぐるす 京都・伏見区醍醐)の竹薮で落ち武者狩りの百姓・中村長兵衛に竹槍で刺し殺されたと伝わっています。

 歴史的にも大きな役割を持つ光秀ですが、実は光秀は小栗栖で死なずに生き延びて、南光坊天海という僧になったという異説があるのです!

 南光坊天海は江戸時代初期に徳川家康の幕僚として活躍した僧で、その経歴には不明な点が多数あります。光秀=天海の異説の根拠として、徳川家康を祀る日光東照宮の陽明門にある随身像の袴や多くの建物に光秀の家紋である桔梗紋がかたどられていることや、日光に明智平と呼ばれる区域があり、天海がそう名付けたという伝承があること、あるテレビ番組で行った天海と光秀の筆跡を鑑定した結果、「極めて本人か、それに近い人物」との結果が出たことなどがあげられています。

 そして、その後光秀は天海として財をなし「護法救民のために宝を埋めた」という言い伝えがあります。
 「護法救民の書」と呼ばれる書物の中に「身をも名も惜しまねばこそ松のみとりいろ濃き 弥生空くちなは頭の影をふむ岩戸苗のその下に こかね三百しろかね千貫」という歌があり、この歌が宝のありかを示していると考えられています。

  この歌に基づき、埋蔵地と考えられている場所は4か所で、元光秀の支城だった亀山城跡、京北町の菩提寺、慈眼寺、そして残りの1つがなんと、大津なのです!

 秀光の家臣であった能見晴長が大津市の坂本あたりの琵琶湖湖底に沈めたという言い伝えだそうです。「語法救民の宝」と呼ばれるこの埋蔵金は、財宝の名前としては不思議な呼称ではありますが、もともと明智光秀が仏法を信じ、人道的な人物であったからこの名がついたと言われています。

 これまでも多くの人が光秀の残した財宝を求めて探してきましたが、残念ながら400年程経った今も財宝は発見されてはいません。ですが、もしかしたら普段私たちが眺めている琵琶湖に沈められているのかもしれないと思うと、なんだかワクワクしてしまうお話しですね。

 




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『大津に埋蔵金が隠されている!?』

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