豆知識

みなさんは滋賀県大津市について、どんなことを知っていますか? 残念ながら、
全国的には場所すらよく分からないという方が多いのではないでしょう か?
大津市は日本一の琵琶湖の南に位置し京都・奈良・鎌倉などとならんで古都指定 を受けた街で、かつては都が置かれ、源氏物語を生み、東海道最大の宿場町でした。
一見地味でも、実は自然と歴史と文化とまちが交じり合った奥行きのある”大津市”。まだまだ知られていないその魅力を、スタッフが発掘してご紹介していきま す。
(メルマガ”e湖都通信”に連載中の”大津豆知識”を再編集し掲載しています。)
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大津市

『大津の歴史〜その6(江戸時代)』

関が原の戦いで東軍・徳川家康が天下をとった陰では、”大津城の戦い” で西軍を足止めしたことが大いに貢献しましたが、その後大津城は廃城 とされ、徳川家康は新たに膳所城を築きあげました。

膳所城は琵琶湖に張り出した水城で日本三大湖城の一つに数えられ ました。現在は完全に陸続きとなって膳所城跡公園となりきれいに 整備されています。石垣が僅かに残っているぐらいです。

膳所城の場所は近江大橋西詰めを少し南に行ったあたり。家康がこの場所を 選んだ理由は、昔から「瀬田の唐橋を征するものは天下を征する」 と言われた瀬田の唐橋に近い場所でだったからだと言われてます。

その後、大津の中心部は、城下町としての色をうすめ、東海道の宿場(大津宿)として物資運送と人々の往来 で商業都市として繁栄していきました。

その繁栄ぶりは「大津百町(おおつひゃくちょう)」と呼ばれ、 1万8千人を超える人口をかかえ、東海道宿場町の中でも最大規模と なっていました。

湖国三大祭の1つで、ゴブラン織や装飾金具を着飾った13基の曳山が市内を巡行する「大津祭」は、豪華で高い文化水準 であった町衆文化の影響を受け、17世紀末の元禄時代に大きく発展していきます。 そして、江戸時代の大津の経済力を現代にも伝えています。

幕末には、開国か攘夷か、尊王か佐幕か、政治の中心地京都に近い大津の地もその渦にまきこまれながら明治維新を迎え、大津は滋賀県 の行政の中心として位置づけられ、県庁が置かれました。
 
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