豆知識

みなさんは滋賀県大津市について、どんなことを知っていますか? 残念ながら、
全国的には場所すらよく分からないという方が多いのではないでしょう か?
大津市は日本一の琵琶湖の南に位置し京都・奈良・鎌倉などとならんで古都指定 を受けた街で、かつては都が置かれ、源氏物語を生み、東海道最大の宿場町でした。
一見地味でも、実は自然と歴史と文化とまちが交じり合った奥行きのある”大津市”。まだまだ知られていないその魅力を、スタッフが発掘してご紹介していきま す。
(メルマガ”e湖都通信”に連載中の”大津豆知識”を再編集し掲載しています。)
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大津市

『大津の歴史〜その2(古墳時代から奈良時代)』

前号では1万年前〜弥生時代までの大津にスポットライトを当ててお送りいたしました。今回は4世紀(約1700年前)以降の時代背景に目を向けてお送り致します。

4〜7世紀(約1700〜1400年前)の大津では古墳の建造が盛んに行われていました。琵琶湖を一望できる史跡公園「皇子山古墳」や「和邇大塚山古墳」から始まり、7世紀前後になると小豪族の家族の墓とみられる群集墳が琵琶湖西岸地域に集中しています。どの群集墳にも独特の風習が残っており、朝鮮半島に起源をもつ渡来人の墓ではないかと言われています。

参考:滋賀県文化財学習シート「大塚山古墳」

7世紀代の大津は短期間ながら大津京に象徴される時代でした。663年、朝鮮半島で新羅・唐の連合軍と対戦した白村江の戦いに敗れた後、667年に中大兄皇子は都を奈良・飛鳥から近江へと遷都し、翌年に天智天皇として即位しました。その後、律令制に基づいた天皇を中心とする統一国家を作ろうとしましたが、遷都5年で亡くなり、672年に起こった壬申の乱によって都は再び飛鳥に戻されました。その間、大津に都があったのはわずか5年5ヵ月のことです。この時期に、崇福寺(滋賀里西の谷を隔てて南北に並ぶ丘陵上にあります)などの大寺が建立されました。

参考:大津歴史博物館「大津京」

奈良ではこの時期、藤原京・平城京・東大寺建立のため多数の材木が必要となったため、大津の田上・大石の山々から瀬田川を下って材木が供給されていました。逆に、都の最新の仏教を近江にもたらす道としての役割も果たしました。

やがて積み出し港の石山に、奈良の都の文化の影響を直接受けた
「石山寺」が建立されたそうです。

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